おいしい水を作る天恵石 エッセイ集

14  幼い頃の温泉の想い出。 

秋の旅行シーズンが到来。このシーズンになると、私が幼い頃、祖父母に何回か連れてゆかれた、那須温泉と塩原温泉を昨日のように想い出す。

 

幼稚園に上がる前から、最後に行ったのは大東亜戦争が始まる年の秋だった。

上野から蒸気機関車が引く二等車だった。ふかふかの赤いシートだったのを覚えている。

汽車から降りて、木炭バスに揺られて登り道を歩く程度の速さで那須温泉に着いた。旅館は“たちばなや“といった。

朝起きて温泉に行くとき、玄関の天井に雉や兎がたくさん吊るされていた。泊り客が猟に行くらしく、猟から帰ってきた人が温泉につかっていた。昼ごろには天井に吊るされた雉や兎はもうなくなっている。

退屈すると帳場に下りて同年輩の女の子に遊んでもらったが、言葉がちょっと違っていた。

 

那須はいつも3日くらい泊まってハイヤーで塩原に向かう。

塩原温泉は那須より長く泊まったようだ。“中会津”という旅館で、玄関から広く長い階段を上って客室があった。階段の途中の左側に岩盤を掘りぬいた温泉があり、天井も壁も、湯船の底も岩盤がむき出しの浴場だった。湯船の底が平らでなく、電灯も暗く奥が見えないので怖かったのを覚えている。

客室は、山の頂上にあったようで、縁側から紅葉した山々が一望できた。この旅館の想い出は、日本髪を結った仲居さんだった。食事時になると仲居さんが着物の裾は開かないせいか、身体をちょっと斜めにしてお膳を持って長い階段を何人も上り下りしていた。

中会津のほうが、仲居さんもきれいで愛想も良かった。退屈している時など街に連れ出して遊んでくれたのを覚えている。

 

しばらくの間、二軒ともJTBの時刻表に掲載されていないから無くなったものと思っていた。

ところが数年前、ひょんな事で健在だった事を知り、懐かしいから泊まりに行った。

中会津は、ビルになってエレベーターで客室まで運んでくれる。

健在だったのは岩盤を削った浴場だけだった。昔より照明も明るく今流に改造されていた。変わらないのは岩盤の壁から流れ出る豊富な湯量だけだった。女湯もできていたが、昔の浴場は男湯になっていた。

経営者も変わりすっかり寂れた様子。泊り客も私たちだけ、仲居さんも近所の主婦で、二人のお膳を出せば帰ると言った。

大浴場が貸しきり状態で、妻と湯につかりながら思い出話をした。

 

那須の“たちばなや”は、すっかり小さくなって民宿のような旅館に変わっていた。窓から見る景色もまるで違い、大女将は当時遊んでくれた少女らしいが、当時の想い出に触れられたくないようだった。

でも街を歩くと昔のことをいろいろ思い出し、元湯にも行ってみたが今は日帰り温泉のようになっていた。大きな社は『那須神社』と書いてあった。地獄にも行ったが、帰りは近道を思い出し、妻は私の記憶力の凄さに脱帽していた。

それはそうでしょう!60数年前の記憶で妻を案内したのだから。

 

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